隅田川の花火を見てきた。画像はmixiにて掲載したので省略。仲間内で徹夜カラオケ後解散、彼女様に付き合って時間調整の為ネカフェにて仮眠。仮眠しながら咲6巻、漫画版Roman1・2巻読破。Romanは気紛れで手に取ったが予想外のクオリティに中古なら買うまである、と思わされた。一言で形容するなら同人舞台でプロの犯行、そんな感じ。さて、ここからはクリエイター及び消費者論、じゃなくてクリエイター風味な人間の作者読書に関する雑文。
文・絵・音、いずれの創作者においても、最終的に求めるものは「作品を通じての自己の承認」これに尽きると思う。これは備忘録も含む。自己を含む作品の消費者に自己の感性や思想を認めてほしい。その為にオンラインではコメント、オフラインではファンレターが作者への糧となる。たとえそれがネガティブなものであれ、純粋に悪意を込める為のものを除けば、基本的にポジネガは表裏一体だと俺は考える。その中でもより作品に言及して意見を貰えるものはより自身に関心を持ってくれている訳で、単純な美辞麗句と的確な批評ならばどちらが嬉しいかは(極端に精神的に追い詰められた作者のケースを除けば)一目瞭然であろう。
その理論で言えば他者が別ジャンルで作品を移植する事はその最たる例ではないだろうか。ある作品を享受した他者がリスペクトを示しつつも自身の意見見解を混ぜつつ作品を再構築する。この再構築というのは作者から見て二つの承認を読み取れる事項があり、一つは他者に再構築される価値があると認められる承認、もう一つは世界観を認められる承認。勿論この承認の境界は曖昧だが、一般的に批評家的承認は前者で、後者の承認はクリエイター的傾向にあると言えるだろう。ただこれは皆も知っての通り、諸刃の剣だ。再構築に失敗し、作者の意を逸すれば作者にとってこれほど落胆することはなく、作者の労力は全て水泡へと帰す。ここで誤解により新たな意味が生まれることから発生する可能性(俗な例を出せば空耳ソングという文化)はここでは言及しないこととする。
だが…それゆえに作者冥利に尽きるほどの移植はかけがえのないほどの宝物だと思う。それこそ原本作者にとどまらず消費者全体にとっても宝物だと断言する。俺自身は古い作品しか知らないにわかサンホラーだが、幻想物語の映像化はある意味禁忌でもあり、魅惑的な果実だと思っていた。それほどにはサンホラ世界に魅せられていた。そこで尊敬に満ちた綿密でかつ大胆な漫画版Romanを見つけた喜びは多少バイアスがかかっても致し方ないだろう。Revo氏らサンホラメンバー、そして漫画版Romanの作者に一消費者として感謝したい。素晴らしい世界をありがとう。
前々回歌詞当てはボカロ曲
「恋は戦争」、前回が林原めぐみ氏による
「集結の園へ」。段々紹介が適当やね。
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posted by 褐月 星琉 at 00:01|
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